生活するのにお金に困らない状態を経済的自由と定義するならば、その状態に達するには2通りの方法があります。1つは働いて自由を手にする方法で、もう1つは働かずに自由を手にする方法です。どちらを選択することも可能ですが、労働者は働くことで多少の自由を手にすることが可能であり、投資家は働かずに自由を手にすることが可能です。そして投資家が経済的自由を獲得するとセットで精神的自由も獲得することができることができます。
以下で詳しく解説したいと思います。
浪費消費投資の違いを理解することから始めよう
投資家は必ず浪費消費投資の違いを明確に区別できていますが、労働者はこの区別があいまいです。もしあなたが労働者でお金は欲しいけどなかなか貯まらないとい思っているなら、まずはこれらの違いを区別することから始める必要があります。
まずは浪費と消費の区別ですが、あいまいでうまく説明できない人が多いのではないでしょうか。どちらも支出に該当しますが消費は普段生活する上で欠かせない支出のことを指します。たとえば電気ガス水道といった公共料金,食費,家賃、携帯代など人が生きていくために必要なお金は支出として考えます。浪費とは必ずしも必要ではない支出だけど、ついついお金があると使ってしまう支出のことを指します。たとえば毎週のように参加している飲み代,飲み会で終電を逃したので支払ったタクシー代,ちょっと小腹が空いたのでコンビニで買った定価の食べ物など、こういった支出は浪費として区別します。人によっては飲み会は大切なお付き合いだからしょうがない、1次会で帰ると印象が悪いから最後まで付き合って帰りはタクシーに乗るのはしょうがない、だからこれらは消費だと考える人もいるかもしれません。それを否定するつもりはありません。
しかしそういったものを消費として区別しているようではいつまでたっても、現状を改善することはできず支出が続くだけです。サラリーマンは毎月の収入はある程度決まってしまっているので、いかに消費と浪費を区別し浪費を減らしていくことが支出を減らす第一歩です。支出を減らすことができればその分のお金は貯まり始めます。
浪費消費に対して投資は次元の違う世界です。
投資は何かの金融資産にお金を投じることによってリターンを得ることを指しますので、お金が出ていく支出ではなく、お金が入ってくる収入に該当します。投資で投じるお金は支出で抑えた分と給与の差額が原資となります。
労働者と投資家の思考回路の違い
浪費消費投資の区別が明確になったところで、次に理解しなければいけないのは労働者と投資家の思考回路の違いです。
世の中は人々にモノを浪費消費させようと刺激や誘惑がたくさんあり、浪費消費意欲を掻き立てるよう仕組まれた中で我々は生活をしています。浪費消費自体は全く悪いことではないし、人々が浪費消費をすることで経済は成り立っているというのも事実なので大切なことなのです。しかし浪費消費するためにはお金が必須なので、頑張って仕事をしてお金を稼いで、浪費消費してお金を稼いて、・・・、の繰り返しです。これが労働者の思考回路です。
一方投資家の思考回路というのは、稼いだお金のうちいかに意識して浪費消費したいという気持ちをコントロールして、お金を残しそのお金を投資に使い、そして投資で増えたお金は使わずにさらに投資していく。これを繰り返すことでお金は増えていくという思考回路を持っています。
つまり整理すると、
労働者の思考回路:
稼ぐ → 浪費消費(>貯蓄) →
稼ぐ → 浪費消費(>貯蓄) →
稼ぐ → 浪費消費(>貯蓄) →→
労働して多少の経済的自由を獲得
投資家の思考回路:
稼ぐ → 浪費消費(>投資) →
稼ぐ → 浪費消費(≒投資) →
稼ぐ → 浪費消費(<投資) →→
働かずして経済的自由を獲得
という関係が成り立ちます。
投資家の思考回路のポイントは、
・浪費消費を抑える
・残ったお金を投資する
・投資で増えたお金は再度投資する
・上記を繰り返す
です。
いたってシンプルですが、このことを理解し実行できるか否かで、一生労働するか否かが決まります。投資家の思考回路とは生まれ持った才能では無く、努力してお金の勉強をした人だけが身につけることができる後天的な思考回路です。
投資の勉強
投資家の思考回路を理解することができたら、次に投資の勉強をすることが必須となります。思考回路を身につけるのと同じく、投資は勉強によってのみその方法を習得することができます。
しかしお金は働いて稼ぐもの、日本では学校でそういう感じの教育を受けさせるので、自然と子供たちは、将来大きくなって大人になたら働いて稼ぐということが自然と植え付けられてきているので何ら不自然には思わないでしょう。
大人になってから何か新しいことを勉強するにはとてもエネルギーが必要です。年を取れば取るほどに。 でも仕事で必要だから昇進で必要だからという理由であれば、資格や試験のために重い腰を上げて勉強し始める方は多いでしょうが、仕事では必要無いけど何かを達成するために勉強をする人はとても少ないように思います。
もしあなたが経済的自由を獲得したいなら投資の勉強は必須です。何も勉強せずにお金持ちになるなんてことは非現実的だと思って下さい。宝くじが当たったとかギャンブルで儲けたとか、当たるかどうかも分からない確率の世界で時間とお金を費やしても無駄の極みでしかありませんし、あなたにその機会が訪れることは皆無だと思って良いでしょう。万が一そういった方法でお金を手に入れることができたとしても、お金の勉強をしてないということはお金の取扱い方も知らないわけですから、そのお金を浪費消費し続けるだけでいずれ無一文になってしまうのが世の定石です。再現性など全くありません。ちなみに宝くじは日本人は大好きですが、再現性が無いという意味でギャンブルと同義です。
そして何も知らない人はギャンブルと投資は同じものだと考えていますが、きちんとお金のことを勉強をした投資家はこれらは全くの別物であると理解しています。 ギャンブルはお金持ちになれる確率を上げることもできないし再現性も全くありませんが、投資はお金持ちになれる確率を上げることが可能ですし、再現性があります。お金について正しい原理原則を勉強すれば、投資はあなたをいずれ経済的自由へ導いてくれるでしょう。
投資行動を始める
投資家の思考回路及び投資の勉強をすることの大切さを理解することができたら、次に投資行動を始めることです。そのためにはまず投資により得られるリターンという名の果実を収穫することが大切です。果実を収穫するためには最初に種を蒔いておく必要があります。しかし正しい種蒔きができる人ばかりではなく、間違った種蒔きをする人、種蒔きをしない人、種だけ買って蒔くことをしない人がいます。
もし間違った種蒔きをすると、投資により得られるリターンはマイナスになってしまいます。 こうなるとどんどんお金の流出が続きやがて自己破産という状況を招きます。例えば投資専門不動産会社から勧められて不動産を買ったがキャッシュフローが赤字になったり、財務諸表がダメダメなのに有名だという理由だけでその会社の個別株式を買って大損したりなどです。よく勉強せず買うことは悪い種を買うことと同じですし、また仮にそこそこな種だったとしても買うタイミングを間違えてしまうと間違った時期に種を蒔いてしまい収穫できなかったということになります。
またそもそも種蒔きをしない人もいます。もし財産を失ったらどうしよう恐怖が先行してしまい、投資に踏み出せない人や色々調べてみたけどやっぱり一歩が踏み出せず石橋を叩いて渡らず壊してしまう人です。 そういう人は投資のリスクに対する免疫が無いので、無理せず無難に一生労働するしかありません。そうすれば大きな失敗をすることはなく平穏な一生を送ることができます。
それと種だけ買って満足してしまう人がいます。せっかく良い種を持っているのに蒔くということをせずそっとしまっておくのです。たとえば難しい国家資格を持っていてそれを活用すればそれなりの収入を得ることができてそのお金を投資すれば果実が得られたのであろうに、 今のところその国家資格を使う予定は無く、万が一今の会社でリストラにあったときに活用できれば良いとか考えている人たちです。せっかく頑張って種を持っているのに、蒔くことをしないのです。
正しい種蒔きをできる人とは、正しい種を買うことができそれを適切な時期に蒔くことができる人のことです。そうすれば必ず果実を得ることができるのです。
正しい種を買い正しい時期に種を蒔いたら、次にそれを育てて果実を得る必要があります。 投資で種が芽を出して育っている間と言うのは、実はやることがあまりありません。たまに雑草が生えない程度に草むしりをする程度です。たとえば不動産であれば管理業者に委託管理料を支払って自分の代わりに管理してもらうとか、株式であれば決算短信を読むとかくらいです。
芽が出始めのころはまだまだ果実は収穫できないか収穫できてもわずかですが、やがて時間が経過し成長していくと定期的に果実を得ることができます。
そしてこの果実をどうするか考えることが重要です。得られた果実を浪費消費していては投資家とは呼べません。得られた果実は再投資を行い複利によりさらに大きくしていくのです。つまりその果実を売ったお金でさらに良い果実が実る種を買ったり、あるいは良い種から育った果実は良い種をつけるのでその種をまた蒔けば良いのです。
たとえば不動産投資で得られた黒字のキャッシュフローで新たに黒字キャッシュフローの出る不動産を買ったり、株式の配当金で同じ株式を買い増すなどです。
最初は果実が少ないので魅力が無いかもしれません。 たとえば不動産から得られる家賃でしたら利回りせいぜい10%程度ですし、株式の配当金でしたら利回り2~4%程度です。しかしこれを繰り返していくことによって資産は雪だるま式に大きくなっていきます。焦る必要はありません。時間をかけて育てていけば、長期的にあなたに果実をもたらしてくれるのです。
雪だるま式の資産を増やしていくというのはいわゆるインカムゲインの話ですが、途中で育てたものを苗木として売る方法もあります。売った時点で果実は得られなくなりますが、売ればまとまったお金が手に入ります。つまりキャピタルゲインを手に入れることができます。そのキャピタルゲインでさらに良い苗木を購入することでたくさんのインカムゲインを得ることができ、それをまた途中で売ることを繰り返すことでどんどんキャピタルゲインを大きくすることができます。
このように本来モノをお金で購入するとき、経済学的には等価交換が成り立ちます。つまりそのモノに対して感じる価値と等しい価値分のお金を交換するということです。しかしキャピタルゲインを増やしていく場合、等価交換を繰り返していくだけではいつまで経ってもお金は増えていきません。ですので不等価な交換を繰り返していかないとお金は増えていかないのです。しかしモノお金の価値が釣り合わないものを交換することなんてできるのでしょうか。
結論から言えば、
・価値の感じ方
・価値を感じる時期
の違いを利用すれば不等価交換は成立します。
まず価値の感じ方が違うというのはどういうことでしょうか。
たとえばペットボトルに入った水があるとします。 街中の自動販売機で140円で販売しているとします。 夏の時期で暑かったので喉が乾き水が飲みたいと思い、140円を払って水を買うとします。もしこの自動販売機で同じ水が300円で売っていたら恐らく多くの人は高いと感じ買うのをためらうでしょう。もしからしたら他の自動販売機なら140円で買えるかもしれないからです。
しかし今あなたが登山中であったとします。持っていた水が無くなってしまい、どうしても水が飲みたくなり山小屋に寄ったら同じ水が300円で売っていました。山の上で水分を補給するにはこの水を買う他に無い場合、300円払って水を買うでしょう。でももし登山中でもあなたが十分な水を持っていたらここで水を買うことはありませんよね。
つまり同じモノでも人によって感じる価値が違うのです。
次に価値を感じる時期が違うとはどういうことでしょうか。
たとえば同じく水の話をすると、 現在はペットボトルに入った水というのは自動販売機でもスーパーでも普通に売られている光景を目にしますし、飲みたければ買って飲みますよね。しかし20~30年前はどうだったかと言えば、自動販売機やスーパーで売っている飲み物と言えば缶か瓶入りのジュースばかりでした。そしてこの頃は水を買うという習慣が日本ではまで定着していませんでした。外出中で喉が乾けば、缶か瓶入りのジュースを買うか水が飲みたければ公園の水道の蛇口をひねって飲むというのが当たり前でした。現在では無料だからと言って公園の水道の蛇口をひねって水を飲むという人はあまりみかけません。
つまり時期や時代によってモノの価値は変化するということです。
価値の感じ方、価値を感じる時期を利用して利ザヤを抜くことをアービトラージと言います。 キャピタルゲインをどんどん増やしていくにはこのアービトラージを利用していく必要があります。
経済的自由を獲得するまでに行うこと
投資によるリターンが増えていけば、何もしなくてもお金が増えていくという状況が生まれますので、それだけ自分が労働する機会を減らすことが可能です。
投資による経済的自由を獲得するということは、お金が勝手に増えていくのに自分は全く労働する必要が無く暇人になるということと同義です。
反対に労働してお金に困らない多少の経済的自由というのは、自分の時間がどんどんなく無くなります。多少の経済的自由を得るために、少しでも長く残業し休みの日も仕事をし、少しでも上の役職につくという方法で収入を増やす必要がありますが、それと引き換えに自分の時間はどんどん無くなり上からも下からもバッシングを受けストレスは溜まり続け・・・ということは避けて通れないないでしょう。
どちらの経済的自由が欲しいかよく考え、人生を選択することが必要と思います。
ただし投資による経済的自由を獲得するためには、元本はそれなりに大きくないと達成できません。
人によって生活に必要な金額は異なりますが、普通の庶民が生活するには年間数百万円はかかるので、
投資リターン>浪費消費
の関係を構築するためには、
仮に年間利回り3%で運用できたとすると、少なくとも1~3億円を投資に回して、投資リターン(300~900万円、税引前)を得る必要があります。各々の生活水準により投資リターンが上回る資産の大きさは異なりますが、
誰にも共通して言えることは
投資リターン>浪費消費
の水準に達するまで投資活動を諦めてはいけないということです。
途中で諦めたら経済的自由は遠ざかります。誰にでも浪費消費したいという欲はあるでしょうが、経済的自由を獲得するためには最初に浪費消費するのを我慢して豊かになってから、投資リターンを超えない範囲で浪費消費を始めれば良いのです。
そうすればお金は増え続けていくので、生活のために労働をする必要がなくなります。
投資によりお金が増えていくことは歴史も証明しているし、 経済的自由を獲得できれば精神的自由も獲得すことができる
投資によりお金が増えていくことは、過去の歴史もそれを証明しており、 フランスの経済学者、トマ・ピケティ著書 21世紀の資本 によると、この事実を以下の非常に簡単な不等式でまとめています。
r>g
r:資本収益率
g:経済成長率
簡単に言うと資本収益率rとは投資により得られる利益のことで、経済成長率gとは労働により得られる利益のことです。過去200年間の資本収益率と経済成長率を調査したところ、資本収益率は年間4~5%,経済収益率は年間1~2%程度の範囲で成長しているということをまとめられています。
差にしてわずか年間2~4%だとバカにするかもしれませんが、複利という力を良く理解している人はこの差は非常に大きいということがすぐにお分かりいただけると思います。
つまり労働してお金を稼ぐよりも投資でお金を稼ぐほうが、よりお金持ちになれる速度が速く、この差はどんどん拡大し富めるものはますます富めるという経済的不平等が加速することを示しています。
そして投資の世界ではこの不等式をもとにしてそれぞれの世界に住んでいる人々を、gの住人,rの住人と呼ばれたりしています。つまりgの住人とはいわば労働によって生活している世界の住人、rの住人とは投資によって生活している世界の住人のことを指しています。
gの住人がrの住人になることは簡単なことではありませんし、そもそもそのような世界があることすら認識していないことが多いです。もしあなたがgの住人で働いてお金を稼ぐことに何ら疑問をもっていないのならそれはそれで構いませんが、もしあなたが現状に疑問を持っており資本主義における不平等な現実に気づくことができたのなら、gの住人を脱出する唯一の方法は投資を勉強することなのです。
そしてrの住人になることができれば、日々の生活に必要なお金を稼ぐという労働からは解放され、時間にゆとりを持つことができます。つまり経済的自由に加えて精神的自由も獲得することができるのです。
この精神的自由というのは経済的自由を獲得すればセットで獲得できるものだと私は考えています。つまり精神的自由とは言い方を変えれば、自分を拘束する時間も環境も無いストレスフリーな状態になれるということです。gの住人として会社で働いている限り、ストレスはつきものです。毎日決まった時間に出社して働き、ときには醜い出世競争、縄張り争い、他人を蹴落として自分は上に行く、といったことを見聞きするでしょうし自分が当事者になることだってあるでしょう。精神的自由はこれらとは完全に無縁な世界が広がっているのです。
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